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谷藤福太郎 [た]

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谷藤 福太郎 明治27年 (1894年) 4月1日生 ー 平成2年 (1990) 享年95歳
昭和61年 (1986) に墨田区無形文化財技術認定保持者に登録

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(2015/5/30〜7/20、すみだ郷土文化資料館「すみだ粋の世界」にて展示)


日本で初めて西洋剃刀を製作した草分けが谷藤福太郎氏で、子供の頃から家業のポケットナイフの店を手伝ってました。父辰五郎氏は神田雉子町(現 神田淡路町)で商売をしており、やがて店を任せられ須崎町(現向島5丁目)に転居し近所の床屋さんから輸入剃刀を見せられ、日本人に合った剃刀を作りたいと考え、輸入品の西洋剃刀を買い求めて、2年余りの研究の結果、日本の伝統的な打刃物の技術と研ぎの技術によって、輸入物の西洋剃刀より優れた切れ味と、形状の美しさを加味した、耐久性に優れた国産の西洋剃刀の制作に大正7年(1918) 成功しました。
地金や砥石の選定に至迄工夫を重ね続けた熱意によって、今日の西洋剃刀への信頼を築き上げたと言っても過言では有りません。

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(同じ型を大正天皇も愛用されていた)

谷藤氏はかって、多数の刃物職人が住んでいたと言われる墨田区で工房を構えており、兄弟で西洋剃刀の製造をしていました。大正天皇も谷藤製造の剃刀で髭を剃り、お気に入りだったと言います。しかしながら、安全剃刀、電気剃刀の登場によって西洋剃刀の需要が少なくなり、床屋さんでも替え刃式の剃刀が時代の流れと共に主流と成ました。やがて転職する職人が相次ぎ、西洋剃刀を制作出来る人は谷藤氏を含め数名しかいなくなりました。

谷藤氏は西洋剃刀の製造を廃業した後、主な機材を三条製作所の岩崎氏に譲渡致しました。

谷藤氏の伝統的な技術に独自の工夫を加えた制作方法は、極めて貴重な工芸技術でした。

谷藤氏の主な西洋剃刀は、TANIFUJIは元より他に CAPE、SPALDING、MaxFli、FAVORIT、Wogen、BA'BA、HOLCO、AIRI、KONIG、TF.HAIROP、Rikishia、RITUKY RAZOR、CLUB RAZOR、TENSTER、HELMAN、KINTAKA、BULLDOG、トキワ、宇賀、総房、岩崎( T の刻印) など、かなりの数のブランドに谷藤名や谷藤マル福の刻印が確認される。
他に鍛治岩崎重義、仕上谷藤福太郎と桐箱に両名の箱書きの有る本象牙柄の記念モデルが有る。 (2015.7更新)

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